大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

徳島地方裁判所 平成元年(ワ)330号 判決 1996年2月27日

原告 甲野朝美

同 甲野春子

同 甲野一郎

右原告法定代理人親権者 甲野朝美

同 甲野春子

右原告ら訴訟代理人弁護士 津川博昭

被告 徳島県

右代表者知事 圓藤寿穂

右訴訟代理人弁護士 田中達也

同 田中浩三

主文

一  被告は、原告甲野一郎に対し、八四七四万四七二八円、同甲野朝美及び同甲野春子に対し、各五〇〇万円、並びに右各金員に対する平成元年一一月一五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

四  この判決は仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告甲野一郎に対し金九七一九万六八二六円、同甲野朝美及び同甲野春子に対し各金一〇〇〇万円並びに右各金員に対する平成元年一一月一五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、原告甲野春子が、被告の経営・管理する徳島県立中央病院において原告甲野一郎を出産したところ、右出産が児頭骨盤不適合を原因とする遷延分娩であったのに、同病院の担当医師が微弱陣痛による分娩遷延と誤診し、適切な時期に急速遂娩の施術をすることを怠ったため、原告甲野一郎は仮死状態で出生し、低酸素症、クモ膜下出血により脳性マヒの後遺症を生じたとして、原告甲野一郎及びその父母である原告甲野朝美、同甲野春子が、被告に対し、債務不履行又は不法行為(民法七一五条)に基づき、慰謝料等の損害賠償を求めているものである。

(争いのない事実)

一  当事者

1 原告甲野春子(以下「原告春子」という。)は、昭和五九年一月三日、徳島県立中央病院(以下「中央病院」という。)で原告甲野一郎(以下「原告一郎」という。)を出産したものであり、原告甲野朝美(以下「原告朝美」という。)は原告春子の夫で原告一郎の父である。

2 被告は、中央病院を経営・管理し、乙川道夫医師(以下「乙川医師」という。)を雇用して中央病院において勤務させていたものである。

二  原告春子の入院と入院後の診察等

1 原告春子は、昭和五九年一月(以下、特に断りのない限り年月は昭和五九年一月である。)一日午後八時ころ陣痛が始まり、二日午前零時二〇分ころ出産のため中央病院に入院した。

2 原告春子は、中央病院に入院後、二日午前中に分娩室に入ったが、微弱陣痛で出産に至らなかった。(なお、原告春子は、同日の朝方にかけて破水したが、破水の原因及び時刻については当事者間に争いがある。)

3 原告春子は、同日午前一〇時三〇分、乙川医師の診察を受けた。乙川医師は、原告春子の陣痛を誘発促進させるために陣痛促進剤を投与した。乙川医師は、同日午前一一時三〇分ころにも原告春子を診察し、その際、原告春子から帝王切開の申し入れを受けたが、これに応じなかった。この診察の時、乙川医師は原告春子の骨盤の正面及び側面のレントゲン写真を撮った。そして、乙川医師は、原告春子の微弱陣痛が続いていたので、同日午後三時ころ、陣痛誘発剤を追加し、その後、なお微弱陣痛が続いていたので量を増やしながら陣痛誘発剤を数回投与した。

4 乙川医師は、同日午後六時ころ、原告春子に対し、努責するよう指示したが、原告春子はこれを拒否した。乙川医師は、原告春子の精神を落ちつかせて睡眠をとらせたほうがよいと判断し、陣痛誘発剤の投与を中断した。

5 原告春子は、同日午後一一時ころ、自らの点滴の針を抜き取り、助産婦が新しい針に交換した。また、原告春子は、同日夜から翌三日の朝方にかけて、点滴スタンドを倒したり、点滴針を抜き取ったり、分娩監視装置(ドプラー)をはずしたりした。

6 原告春子は、三日午前九時までに子宮口が全開大になった。(なお、子宮口が全開大になった時刻については当事者間に争いがある。)

三  原告一郎の出産と出産後の状況

1 乙川医師は、三日午前九時に原告春子の子宮口が全開大になっていることを確認して、午前一〇時、高橋弘子医師に応援を依頼し、吸引分娩と圧出によって、同日午前一一時〇二分、原告一郎を娩出させた。

2 原告一郎は、出産時体重三六八〇グラム、アプガースコア(新生児の状態を表す点数法)五点(呼吸、反射、色調が各マイナス一、筋緊張がマイナス二)であり、娩出三分後には同スコア七点(呼吸マイナスなし、筋緊張マイナス一)まで回復したが、三〇分後には自発呼吸が停止し、全身チアノーゼ状態となったため、小児科へ転送された。

3 原告一郎は、中央病院小児科で治療を受けたが、低酸素性脳症、クモ膜下出血により、脳性マヒの後遺症が残った。

(争点)

一  被告の責任の有無

1 遷延分娩の原因の検査・診察の懈怠の有無

(一) 原告ら

本件遷延分娩の原因は、狭骨盤と回旋異常または不正軸進入を原因とする児頭骨盤不適合であった。しかるに乙川医師は、原告春子を初めて診察した二日午前一〇時三〇分の時点で、原告春子の子宮口が三・五指(六センチメートル前後)しか開大しておらず、入院時の子宮口開大度との差異が小さいことからしても、また、破水時から開大度が進んでいないことからしても、分娩が遷延していたと認識できたのに、その原因を明らかにするための何らの診察行為も行わなかった。

(二) 被告

本件分娩には児頭骨盤不適合は存在しなかった。現実の分娩経過には様々なヴァリエーションがあるのであり、二日午前一〇時三〇分の時点で子宮口開大度、頭位、展退の状況、児心音、陣痛発作の強度、その間欠を確認の上、陣痛促進剤(シントシノン)を投与した乙川医師の診療行為に過失はない。

2 本件遷延分娩の原因誤診の有無

(一) 原告ら

本件遷延分娩の原因は回旋異常又は不正軸進入を原因とする児頭骨盤不適合であったが、乙川医師は、児頭骨盤不適合の存在の重大なサインである原告春子の耐え難い陣痛の訴えを受け止めて慎重な診察行為と診断をしていれば、遅くとも二日午前一一時三〇分の時点で遷延分娩の原因として児頭骨盤不適合を発見し得たのに、レントゲン写真の理解を誤り、原告春子の帝王切開を求める訴えを無視し、漫然とこれを疲労性及び精神的な微弱陣痛によるものと誤診した。

(二) 被告

原告春子には回旋異常はなく、また、不正軸進入を原因とする児頭骨盤不適合もなかった。乙川医師は児頭骨盤不適合の判断のために必要な側面像のレントゲン写真を撮影したが、骨盤腔内の恥骨の内側にまで児頭が入っていたし、児頭に著しい変形はなく、瓦状印影(二重に骨が重なっている)も存在しなかったから、児頭骨盤不適合がなかったと判断したことに過失はない。

3 本件遷延分娩に対する分娩管理の懈怠の有無

(一) 原告ら

乙川医師は、二日午前一一時三〇分以降、異常分娩と判断し得たのであるから、自ら分娩監視を行うべきであるにもかかわらず、これを助産婦ないしは看護婦任せにし、その後七時間近くも自らは診察もせず原告春子を放置した。また、乙川医師は、同日午後六時ころ、原告春子の子宮口が全開大まで開いているにもかかわらず、遷延分娩の原因を原告春子の疲労性及び精神的なものと片づけ、以後一六時間三二分もの間、原告春子の分娩を放置した。

(二) 被告

中央病院の産婦人科病棟では、日中は六名、夜間は三名の看護体制を採っており、医師、助産婦が必要な分娩監視行為を行っているし、原告春子には二日午後六時三〇分から分娩監視装置を装着し、助産婦が分娩台のそばで分娩監視をしていたのであるから、分娩管理懈怠の過失はない。

4 胎児仮死の看過の有無

(一) 原告ら

本件においては、胎児仮死が存在した。乙川医師は、本件分娩が遷延した異常分娩であるから、分娩監視装置を装着し、記録紙に胎児の心拍数変動の様子を継続的に記録させ、その変動パターンを観察するなど胎児仮死診断に必要な検査・診察の方法をとるべき注意義務があったのに、これを怠り、胎児仮死を見過ごした。

(二) 被告

本件において胎児仮死はなかった。原告春子には、心拍音を聞くことができ、心音に異常があった場合に鳴る警報機がついている分娩監視装置がつけられていたし、助産婦が分娩台のそばで分娩監視をしていたが、胎児仮死の徴候となる胎児心音は正常であった。

5 二日午前一〇時三〇分、同日午前一一時三〇分または同日午後六時三〇分の各時点における急速遂娩実施懈怠の有無

(一) 原告ら

(1)  二日午前一〇時三〇分の時点

原告春子は、午前一〇時三〇分の時点で、少なくとも、中央病院に入院してから九時間、破水してからでも一時間三〇分経過していたのであるから、明らかな遷延分娩であった。したがって、乙川医師は、この時点で本件遷延分娩の原因を検査・診察し、診断すべきであったし、さらに、その後分娩監視装置を装着して継続的に心拍数変動パターンを観察し、胎児仮死の徴候を把握すれば直ちに帝王切開を実施し、少なくとも五分以内に帝王切開が実施できる体制を整えた上で試験分娩を行うべきであった。ところが、乙川医師は、これら全ての処置を全く行わず本件分娩を放置した。

(2)  二日午前一一時三〇分の時点

原告春子は、午前一一時三〇分には、子宮口の開大度とは無関係に分娩第二期に等しい状態に至っていたし、児頭は重大な変形をきたし、骨重責も認められ、児頭骨盤不適合の状態にあり、仙骨は偏平仙骨であることが認められた。さらに、原告春子は、経産婦であるにもかかわらず、耐え難い陣痛を訴え、帝王切開の実施を希望していた。これらの事実は、児頭が既に重大な圧迫・ストレスにさらされていることを示すものであったから、乙川医師は、直ちに帝王切開に移行できる準備を整えたうえで、腰部硬麻を行い原告春子の陣痛をやわらげて吸引分娩か鉗子分娩を行い、同時刻から二時間以内の同日午後一時三〇分までに娩出に至らない場合、あるいは胎児仮死の兆候が発現したときは直ちに帝王切開すべきであったし、硬麻技術がなかったときは直ちに帝王切開すべきであったのにこれを行わなかった。

(3)  二日午後六時三〇分の時点

原告春子は、午後六時三〇分には子宮口が全開大となっており、このときには既に胎児仮死はかなり進行していたことがうかがわれるし、また、胎児仮死の徴候がなかったとしても、子宮口が全開大となったこの時点で、直ちに帝王切開を実施できるように準備を整えたうえで、硬麻により産婦の陣痛を緩和して児頭へのストレスを軽減し、骨盤節等を弛緩させて吸引分娩または鉗子分娩を実施すべきであった。そして一時間以内に娩出に至らない場合、あるいは胎児仮死の兆候を認めたときは直ちに帝王切開すべきであった。こうして、乙川医師は、胎児を骨盤腔内でその児頭が受ける陣痛によるストレスから早急に救出してやらなければならなかったのにこれを行わなかった。

(二) 被告

(1)  二日午前一〇時三〇分の時点

乙川医師は、午前一〇時三〇分の時点で、子宮口開大度、頭位、展退の状況、児心音、陣痛発作の強度、陣痛間欠を確認の上、陣痛促進剤を投与した。この乙川医師の診療行為に過失はない。

(2)  二日午前一一時三〇分の時点

原告春子は、午前一一時三〇分の時点で、分娩第二期に等しい状態に至っていなかったし、児頭に著しい変形がなく、児頭骨盤不適合の状態もなく、偏平仙骨としても児頭骨盤不適合の状態にはなかった。また、腰部硬麻を行って陣痛をやわらげるようなことは通常行われていない。

(3)  二日午後六時三〇分の時点

原告春子には、胎児仮死はなかったし、午後六時二〇分の時点において、子宮口全開前の状態で、児頭先進部は坐骨棘間線付近にあり、陣痛が微弱であることに加えて原告春子自身が努責を拒否しているため、この時点で経膣分娩を行ってしまうことは事実上不可能であった。また、帝王切開は、胎児心音も良好で児頭骨盤不適合もなく、その他帝王切開の適応がなかったためこれを行うべきではないと考えられた。そして、深夜中胎児心音は良好であったが陣痛は強くならなかったため、翌朝になってから止むを得ず吸引分娩で娩出したもので、この措置は具体的状況下で医師の裁量の範囲内のものであった。

6 陣痛促進剤投与の過誤及び管理の懈怠の有無

(一) 原告ら

陣痛促進剤は、児頭骨盤不適合があるときは使用してはならない。また、過強陣痛を招来することがあるから、投与量を慎重に決定し分娩監視装置を用いた分娩経過の観察が必要である。ところが、乙川医師は、原告春子が児頭骨盤不適合であるのに漫然と陣痛促進剤を投与したばかりか、分娩経過を無視した過剰な量を、分娩監視装置による分娩経過の観察をしないで投与した。

(二) 被告

原告春子には児頭骨盤不適合はなく過強陣痛もなかったから、乙川医師の陣痛促進剤の投与を非難することはできない。

二  因果関係の有無

1 原告ら

乙川医師の本件診療行為の過失と本件脳性マヒ後遺症との因果関係は明白である。すなわち、原告春子の陣痛が持続していた状況下で、胎児は一月二日午後六時三〇分から翌朝の分娩までの一四ないし一五時間にわたってストレスを受けており、胎児がかなり抑制された状態にあったことが推定でき、こうした遷延分娩の結果、胎児は代謝性のアシドーシス(血中の酸と塩基の関係が、酸優位の状態になったもの)をきたし、加えて、クリステレル胎児圧出法と吸引遂娩術の併用により新生児仮死へと発展し、その新生児仮死の結果、呼吸停止をきたし、低酸素脳症、頭蓋内出血を発症して本件脳性マヒを発症したものである。

2 被告

新生児仮死が必ず脳障害を残すわけではなく、脳性マヒ等の脳神経後遺症の原因は単一ではない。本件も、原告一郎の脳性マヒ等の原因は定かではなく、特に分娩直前まで胎児心音が良好だったことを併せ考えれば、いつの時点のどういう環境が脳性マヒの原因であるのか確たる証拠もなく、結局因果関係の存否は不明であるといわざるを得ない。

三  過失相殺

1 被告

分娩は自然の摂理であって、妊婦の分娩努力によりなされる経膣分娩が最も望ましいものである。したがって、微弱陣痛で分娩が遷延する場合でも、妊婦自身の分娩努力が大切であり、陣痛促進剤の投与により陣痛を促す場合でも、妊婦の努力なしには経膣分娩はあり得ない。

原告春子は、努責指示を拒否し、自分で勝手に点滴の針を抜き取り、点滴スタンドを倒したり、室外ヘ出たりしており、このような原告春子の陣痛嫌悪、努責拒否の態度は遷延の遠因となり、ひいては胎児に悪影響をもたらしたと考えられるのであって、このような母親の態度は、被害者側の過失として過失相殺の対象となる。

2 原告ら

原告春子が努責できなかった原因は、乙川医師が児頭骨盤不均衡を見逃して陣痛を促進したことにあるのであって、乙川医師の責めに帰すべきことである。また、原告春子の行動の原因は、乙川医師が原告春子を休息させず頻回の分娩進行チェックも行わず、この結果、原告春子が続く陣痛のため恐怖のどん底にあったことにあるのであるから、乙川医師がなすべき診療行為を懈怠したために惹起されたものということができ、乙川医師にその責任がある。

四  損害

1 原告ら

(一) 原告一郎の損害

(1)  逸失利益

原告一郎は、本件脳性マヒのため、その労働能力を就労可能な六七歳まで一〇〇パーセント喪失した。昭和六三年度賃金センサスによれば、男子労働者の産業計・全企業規模計・高校卒の初任給は、年額金一九七万〇六〇〇円である。よって、原告一郎の逸失利益は金三五五一万八八八二円を下らない。

一九七万〇六〇〇円×一八・〇二四四=三五五一万八八八二円

(2)  付添介護費用

原告一郎は、本件脳性マヒのため、生涯にわたって他人の介護を要する。その介護のための費用は一日当たり金四〇〇〇円は必要である。また、原告一郎の訴え提起時の平均余命は約七一歳である。よって、原告一郎に必要な付添介護費用は金四三六七万七九四四円を下らない。

四〇〇〇円×三六五日×二九・九一六四=四三六七万七九四四円

(3)  慰謝料

一八〇〇万円

(4)  合計

九七一九万六八二六円

(二) 原告朝美、同春子の損害

原告一郎は、本件後遺症のため、全く自立できず、その生涯にわたって日常生活に介護を要する。このため、原告朝美と同春子は、親権者及び扶養義務者として自らあるいは第三者に依頼して介護を尽くさなければならない。こうした介護費用の負担、またその精神的苦痛、愛児に対する将来の不安などを考慮すると、右両原告の被る経済的、精神的損害は、それぞれ各金一〇〇〇万円を下らない。

2 被告

昭和六三年度賃金センサスによる初任給の金額については認める。その余は争う。

第三判断

一  認定した事実

争いのない事実、甲一、二、五、六、七、九、一一、一二、一六、一七、一八、二三、二四、二七、乙四、六、一五、二四、二五、二六、二七、三一、証人乙川道夫、同中田三代子、原告甲野春子本人、鑑定人神保利春の鑑定及び弁論の全趣旨を総合すると次の事実が認められ、これを覆すに足る証拠はない。

1  原告春子の入院に至る経緯

原告春子は、中央病院に入院した当時満三一歳で、昭和五五年一〇月に出産を経験している。第一子は昭和五〇年に中絶し、第二子が右昭和五五年一〇月出産の女児である。原告春子は、この女児のとき吸引分娩で娩出した。

原告春子は、一日の午後一一時三〇分ころに陣痛が始まり、二日午前零時二〇分、妊娠当初から通院していた中央病院に入院した。妊娠三九週六日であった。原告春子の主治医は、当初から乙川医師で、乙川医師は、原告春子の前回の分娩が吸引分娩であったことを認識していた。

原告春子は、入院時、身長一五〇センチメートル、体重六一・五キログラム(非妊時より一三・五キログラムの増加)、腹囲九七・五センチメートル、子宮底三五・五センチメートル、臍高二〇センチメートル、血圧一二〇/八〇、陣痛発作は一〇分ごとに二〇秒ないし三〇秒であった。

2  入院後の分娩までの経過

(一) 中央病院では、当時、産婦人科病棟に正看護婦、准看護婦、助産婦及び臨時職員が配属され、看護婦、助産婦は三交代制で勤務しており、休日の場合午前八時三〇分から午後五時一五分までの日勤は六名、午後四時三〇分から翌日の午前一時一五分までの準夜勤が三名、午前零時三〇分から午前九時一五分までの深夜勤が三名であった。原告春子には、二日午前八時四八分までは鏡登美子助産婦、同日午前九時から午後五時までは武市佳津代助産婦、同日五時から翌三日午前零時までは岡本貴美代助産婦、三日午前零時から午前一〇時までは中田三代子助産婦、同日午前一〇時以降は長井満子助産婦がそれぞれ付き添った。そして、付き添った助産婦が担当時間のパルトグラムを記載した。

(二) 原告春子は、内診を受け、浣腸等分娩準備の処置を受けてから陣痛室に入った。入院時の原告春子の産科的所見は、子宮底三五・五センチメートル、腹囲九七・五センチメートル、臍高二〇センチメートル、子宮口開大四センチメートル未満、陣痛発作は二〇秒から三〇秒、その間欠は一〇分毎であった。そして、原告春子は、二日午前一時過ぎには陣痛発作が二〇秒ないし三〇秒、その間欠が二分ないし三分毎となり、午前四時過ぎには陣痛発作は三五秒ないし四〇秒、その間欠は一分三〇秒毎となった。

(三) 原告春子は、二日の午前五時ころ、破水感を訴えたが、助産婦の診察の結果卵膜は存在し、破水ではなかった。

(四) 原告春子は、二日午前九時、助産婦の武市佳津代が内診したときに破水した。武市佳津代は、内診時に破水したことからパルトグラムには人工破水と記載した。このとき、原告春子には羊水混濁はなく、子宮口は約八センチメートル開大であった。陣痛発作は三〇秒で、その間欠は一分三〇秒であった。原告春子は、破水したことから分娩室に移動した。分娩台は一メートル二〇ないし三〇センチメートルの高さで、ベッドの床は尻くらいまでしかなく、足は広げて支える台の上に乗せた状態であった。

(五) 乙川医師は、二日午前一〇時三〇分ころ、原告春子を診察した。このとき原告春子の子宮口は三・五指開大、展退八〇パーセントで、児頭はほぼ固定した状態であった。陣痛発作は三〇秒、その間欠は一分で、陣痛は微弱と判断された。このため乙川医師は、原告春子に対し、陣痛を促進するためシントシノン五単位(五パーセントブドウ糖五〇〇ミリリットル)を毎分一五滴の量で点滴静注し、混合感染を予防するためビクシリンも投与した。

(六) 原告春子は、同日午前一一時三〇分ころ、乙川医師に対して陣痛が激しいので帝王切開をするよう希望した。そこで、乙川医師は、児頭骨盤不適合及び回旋異常の有無など帝王切開の適応があるかどうかを検討するため、原告春子の骨盤の正面と側面のレントゲン写真を撮影した。乙川医師は、原告春子は前回の分娩で成熟児を分娩していることと、右レントゲン撮影の結果によると児頭の最大横径が骨盤濶部に達していたことから児頭骨盤不適合はないと判断した。右のレントゲン写真は、児頭と骨盤との間にはほとんど余裕がなく、偏平仙骨のあることを示すものであった。

(七) 乙川医師は、原告春子の陣痛が同日午前一一時三〇分の時点でも微弱陣痛であったので、陣痛促進の処置を継続することにし、同日午後三時にはプロスタグランディンを点滴に追加して投与した。原告春子は、午後三時三〇分の時点で、陣痛発作は三〇秒、その間欠は一分から一分三〇秒であった。なお、シントシノンの投与は、午前一〇時一五分には毎分一五滴であったが、一一時一五分には毎分二〇滴、一一時五〇分には毎分二五滴、午後一二時二〇分には毎分三〇滴、一三時三五分には毎分三五滴と漸次増加された。

(八) 乙川医師は、同日午後六時二〇分ころ、原告春子を診察したが、この時の原告春子の子宮口は四・五指開大、児頭は固定したままであり、子宮口全周にわたって頚管が残存していた。児頭先進部は坐骨棘間線付近にあって陣痛は微弱であったが、産瘤(分娩時に胎児先進部に膨隆して生ずる軟らかい腫瘤で、一般に破水後に初めて発生し、産道の抵抗が大きいほど著明である。)は排臨(陣痛発作時に先進部が陰裂からみえてきて間欠時にはみえない状態。)に近い状態であった。

乙川医師は、分娩を試みるため、原告春子に努責するよう指示したが、原告春子は思うようにできず、帝王切開を希望した。そこで、乙川医師は、原告朝美及び原告春子の父に対し、微弱陣痛の原因は疲労と精神的なものと思われるが、現段階では帝王切開の適応はないこと、原告春子の疲労も強く、精神的に興奮状態なので、陣痛促進剤をやめて睡眠をとらせれば陣痛が強くなる可能性があること、もし、今夜中に心音の変化があったり明朝になっても分娩が進行しないようであれば帝王切開をすることなどを説明し、原告朝美及び原告春子の父の了解を得た。

乙川医師は、同日午後六時三〇分、陣痛促進剤の投与を中止し、一時陣痛を抑えて原告春子を休ませるためにセルシンという薬剤を投与した。そして、分娩監視装置による経過観察を行うこととしたが、五四分間だけ記録用紙に記録し、その後は記録用紙に記録することはしなかった。また、午後六時四〇分から午後九時三〇分まで原告春子に酸素が投与された。

なお、乙川医師は、同日午後六時三〇分に子宮口の開大度と児頭の下降度を診たが、その後翌三日の午前九時まで自らは一度も診ていない。

(九) 原告春子は、二日午後一〇時ころ、再びセルシンの投与を受けた。しかし、このころからの原告春子の陣痛発作は三〇秒ないし四〇秒、その間欠は概ね二分ないし三分で推移し、三日午前四時三〇分ころから陣痛間欠は一分三〇秒ないし二分になった。児心音は、五秒につき、概ね一二回ないし一三回であったが、三日午前二時ころ、同日午前七時三〇分ころから八時ころにかけては、一二回になった。また、原告春子は、二日午後一一時ころ、点滴の針を自分で抜去し、三日午前三時三〇分ころ、立ち上がって再び点滴の針を抜去しようとして点滴スタンドを倒した。原告春子は、同日午前五時三〇分ころにも、点滴の針を自分で抜去し、ドプラーも自分ではずし、家族に電話すると言って歩いた。このとき、原告春子は、「家族をよんで。家に帰りたい。」と何度も言い、「私の体がえらい。」とも言った。原告春子は、同日午前九時二〇分、分娩監視装置の装着を受けたが、座ったり分娩台から下りたりするので、記録できなかった。

(一〇) 乙川医師は、三日午前九時ころ、原告春子を診断したが、このときは陣痛発作緊満程度であって、陣痛間欠三分ないし五分であったが、子宮口開大、産瘤排臨状態で、先進部は出口にあった。そこで、乙川医師は、九時一五分に陣痛促進を再開し、シントシノン等の投与をした。乙川医師は、原告春子に努責するように促したが、原告春子は努責しなかったので、高橋医師に応援を頼んで、陣痛が強くなったところでその陣痛を利用して吸引分娩及び胎児圧出法によって胎児を娩出させることにした。

3  原告一郎の娩出とその後の経過

(一) 乙川医師は、三日午前一〇時に高橋医師に応援を依頼し、同日一一時〇二分、高橋医師がクリステレル胎児圧出法を行いながら乙川医師が吸引分娩を行って原告一郎を娩出させた。このときの吸引分娩は、金属製のカップにより、五〇ないし六〇mmHgと指定されているところを四〇mmHgで、一度だけ引いて娩出させた。原告春子は、胎盤、臍帯及び卵膜に黄染があり、羊水に緑色の混濁があった。

出生一分後の原告一郎は、呼吸マイナス一、筋緊張マイナス二、反射マイナス一、色調マイナス一で、アプガースコアは五点であった。原告一郎は、三分後には泣いたので呼吸のマイナスがなくなり、さらにもう一つのマイナスがなくなったので七点に回復したが、出生後三〇分後に自発呼吸が停止し、全身にチアノーゼが出たので、気管内挿管して同じ中央病院の小児科に送られた。

小児科において、CT検査をしたところ、頭蓋内の外側に皮下血腫が認められた。そして、右検査結果によれば、クモ膜下出血、皮下血腫が認められ、浮腫がかなり強く見られた。小児科での診断は、低酸素性脳症、クモ膜下出血であった。

原告春子は、産褥経過において排尿に障害があり、退院が延期されるということがあった。

(二) 原告一郎は、その後、徳島県立ひのみね整肢医療センター及び香川県身体障害者総合リハビリテーションセンターで治療を受けたが、本件低酸素性脳症及びクモ膜下出血により脳性麻痺の後遺症を残した。

原告一郎は、右後遺症のため、独立で歩行することも、自分で衣服の着替えをすることもできず、排尿、排便、入浴なども独力ではできない状態で、計算などの能力が普通の者と比べ劣っている。また、原告一郎は、平成二年一二月には、両下肢が屈曲して伸びない状態が著しいため矯正手術をしたが、手術後も右の状態は次第に生じ、何年かごとに同様の手術を必要とする状況にある。

4(一)  分娩第一期とは、分娩の開始から子宮口全開大までの期間、経産婦の場合四時間ないし六時間を要する、分娩第二期とは、子宮口全開大から胎児娩出までの期間で、経産婦の場合一時間ないし一・五時間を要する、分娩第三期とは、児娩出直後から胎盤・卵膜の娩出が完了するまでで、一〇分ないし二〇分を要するとされている。

分娩開始後、初産婦においては三〇時間、経産婦においては一五時間を経過しても児娩出に至らないものを遷延分娩という。遷延分娩は、産道による圧迫に児頭を長時間さらすことになり、酸素供給や血流障害をもたらし、胎児仮死や新生児仮死をきたす原因となる。

胎児においては、陣痛開始後一八ないし二四時間を経過すると急激に代謝性アシドーシスが進行するといわれている。

(二)  遷延分娩においては、分娩第一期では、特に早期破水を併発すると羊水の流出とともに胎児が次第に圧迫されて窒息や仮死の危険が生じ、分娩第二期では児頭の圧迫で窒息、仮死の危険が迫るとされている。

微弱陣痛による遷延分娩は、長時間にわたる産道の圧迫に、陣痛、腹圧による子宮血行障害が加わってくるため、胎児は窒息、頭蓋内出血、羊水感染、新生児肺炎などの症状を起こし、死亡することもある。

(三)  胎児仮死とは胎児が低酸素状態におちいったときの名称である。胎児仮死の徴候として、羊水の混濁、胎児心拍数の変化、胎児のアシドーシスがある。淡緑着色の羊水は、分娩時の子宮内圧の急激な変化から胎児へのストレスがかかったことによる一過性の軽い胎児仮死の場合に見られ、濃緑混濁の羊水は、急性の胎児仮死状態を示している。胎児心拍数の変化による胎児仮死の診断は、分娩中、または分娩前の胎児心拍数モニタリングを行うことにより可能で、分娩中の子宮収縮間欠期にのみときどき行う間欠的胎児心音の聴取は、胎児仮死の診断には役立たないものであるといわれている。また、胎児仮死では、胎児が酸素不足の状態になることから、胎児血はアシドーシスになる。

(四)  新生児の頭蓋内出血の原因としては、産道の抵抗が強く分娩が遷延した場合等の直接の外傷性のものと、これらの結果としての仮死状態、いわゆる無酸素症による二次性のものが考えられるが、未成熟児では出血傾向が成熟児に比べて強いので、後者の無酸素症に基づく頭蓋内出血を起こしやすい。

二  被告の責任の有無について

1  右認定の事実を下に、乙川医師の過失の有無について検討するに、乙川医師は、原告春子が二日午前九時に破水した後も分娩が遷延する傾向にあったことから、これを微弱陣痛と判断し、同日午前一〇時三〇分の診察時以降陣痛促進剤を投与し、漸次これを増量する陣痛促進の措置をとったものの、なお分娩が遷延するため、同日午後六時三〇分の時点で、原告春子の陣痛を抑えて一時休ませることにし、陣痛促進剤の投与を中止するとともに、分娩監視装置による経過観察に切り換えたものである。しかし、原告春子の陣痛発作は、二日午後一〇時ころから三〇秒ないし四〇秒、その間欠は概ね二分ないし三分で推移し、三日午前四時三〇分ころからは三〇秒ないし四〇秒、その間欠は一分三〇秒ないし二分になり、陣痛が抑制されないまま継続し、しかもその間原告春子は、肉体的、精神的疲労の極に達し、一時不穏な行動にも出るなどしていたのであるから、乙川医師が三日午前九時にクリステレル胎児圧出法及び吸引分娩を決定するまでの原告春子は、陣痛が抑えられていたわけでもなく、また、休息していたともいえず、胎児は二日の午後六時三〇分から一四時間以上の間、継続する陣痛による子宮内圧と産道の抵抗によって全身に強い圧迫を受け、さらには子宮胎盤血行の激しい変化にさらされていたとみるべきである。したがって、乙川医師としては、より積極的な陣痛抑制を行うか、それがとられないのであれば、より頻回な分娩進行の監理をし、母体及び胎児の状況に対応して、二日午後六時三〇分から三日午前九時までの間早い時期に、何らかの方法により胎児を娩出させるべきであったのにこれを怠った結果、胎児を長時間にわたり強いストレス下に置き、これが、後記のとおり、クリステレル胎児圧出法及び吸引分娩術の併用と相まって、新生児仮死を生じさせ、ひいては脳性麻痺の後遺症を発生させる結果につながったものというべきである。

2  被告は、胎児仮死はなかったし、同日午後六時二〇分の時点において、子宮口全開前の状態で、児頭先進部は坐骨棘間線付近にあり、陣痛が微弱であることなどの事情から経膣分娩を行うことは事実上不可能であったこと、また、帝王切開の適応がなかったためこれを行うべきではないと考えられたこと、さらには深夜中胎児心音は良好であり、陣痛は強くならなかったことなどから、翌朝吸引分娩で娩出した措置は具体的状況下での医師の裁量の範囲内のものであり、乙川医師に過失はなかった旨主張する。しかし、乙川医師のとった措置及び原告春子の分娩進行の経過からすると、胎児への圧迫等は相当程度のものと考えられ、また、胎児心拍数の監視では発見できない程度の代謝性アシドーシスが進行していた可能性もあるのであるから、胎児仮死の有無にかかわらず、また、原告春子が同日午後六時二〇分の時点では被告の主張するような状態であったとしても、胎児の窒息や仮死等の障害発生の危険を回避し胎児をストレスから解放するため、より分娩監視を密に行い、状況によっては二日午後六時三〇分から三日午前九時までの早い時期に、何らかの方法により胎児を娩出させるべきであったというべきである。したがって、被告の主張は採用できない。

三  因果関係の有無について

1  前示のとおり、胎児は、二日の夜から三日の朝にかけて、長時間にわたって相当に抑制された状態にあったというべきであり、これと娩出に当たりクリステレル胎児圧出法と吸引遂娩術を併用したことによって、胎児により強い抑制が加えられ、その結果循環障害を生じ、代謝性アシドーシスを進行させたことがうかがわれ、このことと、他に低酸素性脳症、クモ膜下出血を発症させる原因をうかがわせる事情が認められないことを併せ考慮すれば、結局、胎児が二日午後六時三〇分から翌三日午前九時までの間に抑制された状態にあったことと、娩出に当たりクリステレル胎児圧出法と吸引遂娩術を併用したことが原因となって脳浮腫、代謝性アシドーシス、循環障害を伴う新生児仮死を生じさせ、これによって呼吸停止をきたし、右一連の分娩経過の中で頭蓋内出血、低酸素性脳症を発症して脳性麻痺の後遺症を残したものと認められる。したがって、乙川医師が、二日午後六時三〇分から三日午前九時までの早い時期に何らかの方法により胎児を娩出させていたならば、右新生児仮死の発生を避け、頭蓋内出血、低酸素性脳症による脳性麻痺の後遺症の発症を回避することができたものということができるから、乙川医師の右注意義務違反と原告一郎の脳性麻痺の後遺症との間に因果関係を認めることができる。

2  被告は、新生児仮死が必ず脳障害を残すわけではなく、脳性マヒ等の脳神経後遺症の原因は単一ではないのであるから、原告一郎の脳性マヒ等の原因は定かではなく、特に分娩直前まで胎児心音が良好だったことを併せ考えれば、いつの時点のどういう環境が脳性マヒの原因であるのか確たる証拠もなく、因果関係は結局その存否が不明であるといわざるを得ない旨主張する。しかし、一般的に新生児仮死が必ず脳障害を残すわけではなく、脳性マヒ等の脳神経後遺症の原因は単一ではないとしても、本件における右のような分娩経過、娩出手段等からすると、胎児が相当に抑制された状態であった結果、原告一郎の脳性麻痺の後遺症が生じたものと認められる。分娩直前の胎児心音が良好であったとしても、胎児心拍数の変化による胎児仮死の診断は、分娩中、または分娩前の胎児心拍数モニタリングを行っているからできるもので、分娩中の子宮収縮間欠期にのみ、ときどき行う間欠的胎児心音の聴取は、胎児仮死の診断には役立たないといわれており、また、その余の胎児仮死の徴候を調べているわけでもないから胎児仮死の存在を否定することはできず、また、胎児仮死が存在しなかったとしても、娩出時にあるいは娩出後に仮死に陥ったことも考えられるのであって、その場合であっても二日午後六時三〇分から翌三日午前九時までの間に抑制された状態にあったことが原因と考えられるのであるから、本件の因果関係を否定する理由にはならないものというべきである。

四  過失相殺について

前認定の事実によると、原告春子の場合、第一子を吸引分娩で娩出しているし、原告春子の入院時の身長は一五〇センチメートルで、体重は非妊時よりも一三・五キログラム増えても六一・五キログラムと小柄であって、児頭と骨盤との間にはほとんど余裕がなく、偏平仙骨が認められるのであるから、本件のように分娩が遷延して陣痛促進剤が投与され、投与されてから結局約二四時間にもわたって陣痛が継続していたことになり、その上、二日午前九時に前認定のとおりの分娩台に移されてから翌三日の分娩までそこに置かれていたという状況からすると、原告春子は身体的・精神的に疲労を重ね、殊に二日の午後六時三〇分に乙川医師が診察して以降、三日の午前九時までの間は、疲労を極めた結果、不安感、恐怖心がつのっていたものと推認される。そうすると、原告春子が、充分に努責できなかったり、点滴の針を抜き取り、点滴スタンドを倒したり、室外ヘ出たりしたような行動は、右身体的・精神的疲労から不安感・恐怖心が高まって引き起こされたものというべきであって、右のとおり、右不安感・恐怖心の生じた原因を原告春子に帰すことができないものである以上、このことをもって分娩の遷延、新生児の仮死、ひいては原告一郎の脳性麻痺の結果に影響を及ぼした責任を問うことはできないというべきである。

五  損害について

1  原告一郎の損害

(一) 逸失利益

原告一郎の現在の病状が一3(二)の状況であることからすると、労働能力喪失率は一〇〇パーセントであって、回復の見通しはないと認めるのが相当であり、就労可能年数を一八歳から六七歳までの四九年間とし、平成五年賃金センサス産業計・企業規模計・男子労働者学歴計の年間平均給与額五四九万一六〇〇円を規準にしてライプニッツ式計算法(零歳の係数七・五四九五)により年五分の割合による中間利息を控除して、右期間の得べかりし利益の出生時における現価を求めると、その額は四一四五万八八三四円となる。

五四九万一六〇〇円×七・五四九五=四一四五万八八三四円

(二) 付添介護費用

原告一郎の介護の状況に照らすと、原告一郎は、生涯にわたって日常生活に全面的に介護を要するものと推認され、一日当たりの介護料は四〇〇〇円が相当であると認める。原告らは本訴において、本件訴訟提起時(原告一郎は満五歳)以降の介護料の支払を求めるものであるところ、平成五年度簡易生命表によれば、男子五歳の平均余命は七一年と推定されるので、七一年間の介護料の現価をライプニッツ式計算法により計算すると、その額は二八二八万五八九四円となる。

四〇〇〇円×三六五日×一九・三七三九=二八二八万五八九四円

(三) 慰謝料

原告一郎の精神的苦痛に対する慰謝料は、一五〇〇万円をもって相当と認める。

(四) 合計

以上により、原告一郎の損害額合計は八四七四万四七二八円となる。

2  原告朝美、同春子の損害

原告一郎の両親である原告朝美及び同春子の精神的苦痛に対する慰謝料は、一人につき五〇〇万円をもって相当とする。

六  以上によれば原告らの請求は、原告一郎につき八四七四万四七二八円、原告朝美及び同春子につき各五〇〇万円、並びに右各金員それぞれに対する平成元年一一月一五日から支払済みまで年五分の割合による金員の支払を求める限度でいずれも理由があるから認容し、その余の請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、仮執行宣言につき同法一九六条一項を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 朴木俊彦 裁判官 近藤壽邦 裁判官 善元貞彦)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例